昔の日本は、女性が離婚を申し立てる時にはお寺が関係しました。また海外とは異なり、申し立ては自由にできました。

昔の日本の離婚はどんな感じだったのか
昔の日本の離婚はどんな感じだったのか

昔の日本における離婚とお寺とその自由

昔の日本では、現在の離婚とは色々な違いがありました。以下、主に江戸時代以前の離縁の話となります。当時は、お寺が関係していることが多かったと言われています。当時のシステムでは、離縁の申し立ては男性の方から行われることが原則でした。女性の方からは、その申し立てをすることは本来はできなかったのです。もちろん現在ではそうではありません。現在では女性の方からも、申し立てをすることは可能なのですが。当時は、色々と考え方の違いがあった訳なのです。では女性の方から申し立てをすることは全く不可能だったのかというと、そうではありません。当時は、お寺に仕えることによって申し立てをする権利を取得することができたそうなのです。具体的には、まず離縁を希望している女性がお寺に仕えます。そして3年間仕えることになります。3年間経過すれば、男性に対して離縁の申し立てをする権利が発生したそうなのです。ですので当時は女性が離縁の申し立てをするためには、お寺が必須だったわけです。もちろん現在は、それは関係ありません。当時の日本は、現在とは色々と考え方が異なっていた訳です。逆に女性の方から離縁の申し立てが自由にできるようになったのは、明治時代以降です。ですので明治時代は、重要な節目だったとも言えるのですが。

それと当時の日本は、離婚は自由にできる風潮がありました。ところが海外の場合は、そうではありませんでした。国によっては、そもそも離縁自体ができなかったそうです。一度婚姻を結んだからには、よほど特別の理由が無い限りは離縁は認められない状況だったのです。もちろん現在は、そういうことはありませんが。ですので日本は海外に比べると、離縁は比較的自由な風潮であったと言えます。ただ女性が離縁を希望する場合には、お寺が関係している状況だった訳です。それを考えると、ちょっと当時の日本は現在とはかなり考え方が異なっていたものだと思います。
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